ESSAYSエッセイ

優しい贈り物

ゆびさきがふれあった日

秋も暮れが近づいてくると、少し肌寒くなっていくとともに、ろうそくの最後の輝きのように黄金色の葉で外がぱっと明るくなる。曇り空の真っ白な世界に光の木が伸びているようで、風が吹くたび大地にぱらぱらと光のかけらが降り積もっていく。満開の桜で闇がかすかに明るく見えることを指す、〈花明かり〉という言葉がある。あれは桜に関するもので、銀杏は夜を照らすわけでもないけれども、そんな表現があってもいいような、日中に映える天然の灯りみたいだと、公園に立っている銀杏の木を眺めていると思う。

晴れた日はいっそう輝いて見える。地面に落ちているきらきらした銀杏の葉の周りには色づいた紅葉もたくさん散っている。赤や橙や黄が敷き詰められてなんだか黄桃みたいに美味しそうな色をしている。賑やかな声がして顔を上げると、広場では子供たちが落ち葉をいっぱいに拾っては宙に放って遊んでいた。

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紅葉の季節になると思い出す光景がある。

二十二、三の頃、大人になってから一度だけ友だちと動物園に行ったことがあった。そこは広い公園の一角にあって、通りには秋の装いをした木々が立ち並び、大きな噴水があり、大道芸人の周りに人だかりができていた。動物園には布をマントのように羽織ったゴリラや、空高くまで伸びていくようなキリン、木に登って同化しているようなナマケモノなど様々な動物たちが暮らしていた。

そのなかでも僕らが惹きつけられたのは白ふくろうだった。ぼうっとしながら、ゆっくりと顔を左右に回している。あっちを向いたり、こっちを向いたり、置物のおもちゃみたいな愛らしい表情と首を動かす速度が可愛くて思わず頬が緩んだ。隣では友だちが子供のように無邪気に笑っていた。

すっかり虜になってしばらく白ふくろうを眺めていたら、どこからか幼い女の子が僕のもとに駆け寄ってきた。たぶん二、三歳くらいだと思う。僕がしゃがんで、「どうしたの」と尋ねたら、女の子は小さな手のひらに、その手よりももっとずっと小さな落ち葉を載せ、僕のほうに差し出した。子供の手のなかに包まれるように置かれ、丁寧に差し出されると、それはほんとうに正しく、尊いものに思えてくる。僕が、「くれるの?」と聞いたら、こくりと頷き、僕の手のひらに落ち葉をそっと置くと、女の子は振り返ってまた駆けていった。

彼女の走っていった先には、お父さんとお母さんがいた。彼らは僕に軽く会釈をし、僕も会釈を返した。二人に挟まれるようにして女の子は両親と手を繋ぎながら歩く。手のひらに優しい贈り物を、そしてそんな記憶の光景を僕の心に残して、三つの影は秋の光のなかをゆっくりと遠ざかっていった。

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ふと我に返ると、さっきまで落ち葉と一緒に戯れていた子供たちの姿はなくなっていた。静かな世界に涼やかな風が吹き、乾いた音を立てて葉っぱが木々から落ちていく。綺麗だなと思う。

秋が好きだ。秋の包容力は、寂しさとともに心を包んでくれる。

──『ゆびさきがふれあった日』より

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